トラスト緑地で話そう
小網代の森 - 小網代の森とナショナル・トラスト -
岸 由二 氏
慶應義塾大学教授、専門は進化生態学、流域アプローチによる都市再生論、環境教育等。小網代の森の保全活動に取り組む
池谷 奉文 氏
(社)日本ナショナル・トラスト協会会長、美しいくにづくり、まちづくりの政策を提案するシンクタンクの(財)日本生態系協会会長
新堀 豊彦 氏
(財)かながわトラストみどり財団理事長、神奈川の自然環境保護活動に取り組む神奈川県自然保護協会会長を長年務めた。昆虫調査(カミキリムシ)がライフワーク
司会 長友 真理 氏
日経ナショナルジオグラフィック社
かながわのみどりを次の世代に引き継いでいくため、多くの皆様のご支援をいただきながら、かながわのナショナル・トラスト運動を展開してまいりました。このたび、2010年に財団法人かながわトラストみどり財団(1985年に設立)が25年、2011年に神奈川県の「かながわトラストみどり基金(1986年に設置)」が25年目を迎えました。
そこで25周年を記念として、トラスト緑地の小網代(こあじろ)の森にて、トラスト運動家の方々に小網代の森とナショナル・トラストについて語っていただきました。
(岸)この広場で、「カニパトロール」と称して見学会をやっています。夏の放仔(ほうし)の季節、カニのお産を見たいという訪問者の皆さんを広場に集めて、アカテガニの生態や小網代保全の紹介をして、放仔の観察会を行います。
(池谷)そうです。普段は森にいて産卵のために、海にやってきます。日没の10分くらい前になったら、カニがくる前に、人が海の中に整列してもらって見学してもらいます。
(長友)浜にいるとカニをふんじゃったりして危ないから。
(岸)「人は海、カニは陸」っていう掛け声をかけて。
(池谷)なるほど。
(岸)そして日没後20分前後になると、ぴったりその時に申し合わせしたように、わらわらと森から出てきて、皆それぞれ3秒ほど海の中で身体を震わせて産卵します。
(池谷)そのあとは森へ帰って行くのですか。
(岸)はい、帰っていく途中に交尾をしようとオスが待ち構えています。メスは、既に体の中の袋(精子(せいし)嚢(のう))に精子を持っているから、追加の交尾はする必要はないのですが、オスは交尾したい。カニの精子って動かないです。だから後から交尾したカニの精子が精子嚢の入り口にいて、次の卵の受精に有利なんですね。だから後から交尾したオスが子作りには有利なんです。
(池谷)新鮮なものがいいわけですね(笑)
(岸)放仔をおえてメスが森にかえるタイミングは、絶好ということですね。ただしケンカに強くないと他のオスに横取りされる。だから、海岸線はデカいオスだけ。
(長友)わぁ、感じ悪い(笑)。
(岸)中くらいのオスはここにきても大きいのにやられちゃうから、山の中にいて、偶然メスに会えるのに期待をかける。
(池谷)すごい生存競争ですね。
(長友)でも、ちゃんとこう、俺はちっちゃいからあっちで待ってるわって考えている。
(岸)考えてるかどうかはわからないけど、まぁそういう戦略をとってる。
[近くのシーボニア・マリーナのクラブハウス施設へ]
[新堀豊彦 (財)かながわトラストみどり財団理事長も対談へ参加]
(長友)小網代の森に来たのは初めてなのですが、池谷さんも初めてと伺いました。ご感想をいただけますか。
(池谷)小網代の森は前々から来たいなと思っておりましたが、ようやく伺うことができました。やはり、集水域全体が残っていることは素晴らしいことです。都市近郊にあって道路や宅地に分断された所は全国にありますが、集水域がまるまる残っているということは生態系を保持する上でも重要なことといえます。すばらしいですね。
(長友)岸先生は長年、小網代の森の保全にかかわられていると伺っておりますが、小網代に係わられた経緯を教えていただけますか。
(岸)私の友人がたまたま三浦市に引っ越しまして、家の傍に大規模な自然が残っていると誘いを受けたのがきっかけで、1984年ごろから小網代の森を訪れるようになりました。既に宅地やゴルフ場開発の波が問題となっているところで、当時、僕自身がもともとどのような単位で自然を守るべきかということに大変興味があって、“流域”という枠組みで自然を守ることについてずっと考えていた。そんな時期に森へ足を踏み入れたのですが、小網代の森には集水域が自然状態でまるまる残っていて、感動を覚えました。ここだったのか、僕を呼んでたのは!って。
(長友)それで小網代に係って28年目。保全のきっかけと、小網代とかながわトラストみどり財団との関係について伺いしたいのですが。
(岸)僕が小網代の森の保全活動を始めたのは1984年、当時はまだ、かながわトラストはありませんでした。
当初、神奈川県は、市街化区域でもある小網代の森の保全はあり得ないという意見でした。1990年に国際生態学会議が横浜で開かれて、小網代の森がエクスカーションの場所に選ばれたあたりから風向きがかわりましたね。私もガイド役として横浜から三浦市へ出席者と共にバスで向かったのです。そこで世界から集まったそうそうたる学者たちが、小網代の森の景観を見て、「何だ、これは!」と感激した。市街地からそう遠くない場所にこのような美しいランドスケープが残っていることに、みなさん強烈な驚きを感じたようです。貴重な森、集水域を開発するべきではないと、多くの学者からコメントをいただいた。保全の動きにも、大きくはずみがつきました。
同じ年、国際生態学会議に先立って、小網代の地元に「小網代の森を守る会」が設立されたのですが、その会が設立されたばかりの「かながわトラストみどり財団」と連携する形で、トラスト会員を増やす運動を始めたのです。署名活動ではなく、小網代を大事にしたいと身銭を払う会員が1,000人、2,000人、3,000人と急激に増えていった。当時の神奈川県知事も、これには驚かれたと思います。