トラスト緑地で話そう
小網代の森 - 小網代の森とナショナル・トラスト -
岸 由二 氏
慶應義塾大学教授、専門は進化生態学、流域アプローチによる都市再生論、環境教育等。小網代の森の保全活動に取り組む
池谷 奉文 氏
(社)日本ナショナル・トラスト協会会長、美しいくにづくり、まちづくりの政策を提案するシンクタンクの(財)日本生態系協会会長
新堀 豊彦 氏
(財)かながわトラストみどり財団理事長、神奈川の自然環境保護活動に取り組む神奈川県自然保護協会会長を長年務めた。昆虫調査(カミキリムシ)がライフワーク
司会 長友 真理 氏
日経ナショナルジオグラフィック社
トラスト会員が増え、トラストの基金で緑地を買うことが重要
(新堀)私も二十数年、県会議員のときから神奈川の自然保護活動を行ってきましたが、小網代の森のようにもともと市街化区域だったところが、大規模で守られることは前例がないでしょう。昭和40年代(1960年代半ば~1970年代半ば)当時、全国的にも開発志向が強かった中で、津田(つでん)文(ぶん)吾(ご)神奈川県知事が開発のながれを止め、次の長洲(ながす)一二(かずじ)知事が保全への検討を打ち出したことによって動きだしたわけです。その後、トラスト運動による緑地の買入や借入を行いつつ、2010年に神奈川県が保全用地取得を完了したわけです。
(岸)トラスト緑地で買入した現在の保存契約地は、最終的に保全された土地全体からすれば小規模です。しかし、市民の意向として小網代の森を守りたいとトラスト会員数が急増し、トラストの基金で緑地の一部を買うことができたのは、本当に重要なことだったといえます。
保全の道のりを考えると、調整役・触媒役となったのがトラストだったということでしょうね。昔の車でいうと、クランクを回してエンジンがブンブンってかかるみたいなもので、そのクランクの役割を担うように運動を盛り上げていただいた。
(長友)かながわのナショナル・トラスト運動の場合は、神奈川県と財団が一緒に活動されていますね。
(新堀)全国的にも珍しい取り組みですが、当初、財団は神奈川県が主導で立ち上げました。あまり知られていませんが、財源となるトラストの基金は県に設置されていて、買入や寄贈された緑地は県が所有しています。その方が税制面や管理上で有効で、財団は基金の運用益を元に、運動体として活動しているわけです。もちろん、買入等を行うときは、財団が開く選定委員会で決議しますので、トラスト会員のたくさんの支援があれば財団の重みがでてきます。
(池谷)もともとナショナル・トラストの“ナショナル(National)”というのは国家ではなく、国民の意味が込められています。19世紀の産業革命期のイギリスで始まった運動で、国民一人一人の力で民間組織を作り、チャリティー活動を通して、自然環境や歴史的文化資産を保全し、恒久的に残していこうという取組みです。神奈川ではナショナル・トラストの運動体として非常にうまく行政と市民運動をくっつけたと思いますね。今後日本でも一つのパターンとして広がっていくべきでしょう。
市民団体だけではやはり小さい動きしかできず、振るわないことが多い。だからといって、行政だけでは地域に根付きません。お互いに連携した形で大きな展開が望め、さらに持続した活動ができそうです。
(長友)都市近郊の緑地も各所にありますが、今後どのようなことが重要になってくるでしょうか。
(岸)「近郊緑地保全区域」など保全の法制度について、大きな問題があります。例えば都市計画を決定して、公園として守られた所であれば経常的な管理予算が出ますが、近郊緑地保全区域では、経常的な管理予算は出ません。つまり法制度としていったん守ったら、あとは“そのまま”という状態に近い。
しかし、何もしないで守ればよいという、旧来の自然観は、特に都市近郊のような住宅地に面したところでは通用しません。その枠組みで保全すると「手を入れない」ことが一番いいこととなりますが、木を切らなければ、林床の植生は荒れ、流れる川は真っ暗になる。光が入らないこと、森の保水力が減少して土砂流出が増し、暗黒化した小川からは水生動物の姿もきえてゆく。防災の面でも危険な場所となってゆきますね。
神奈川で残っている都市近郊の緑地は、その昔は農業とセットで里山として雑木林管理が行き届いていた場所です。しかし、現状では十分な管理はなされずに、必要最低限の管理だけで放置されたところばかりです。この面からも適正な管理の必要性をはっきり盛り込んだ制度にしないといけない。お世話する人に予算が付くような保全の制度を作らないと大変なことになります。
(池谷)やはり健全な自然環境がなければ人はちゃんと生きていけないと考えています。健全な生態系があって初めて健全な社会ができるということが、共通認識になるべきでしょう。今まさに、日本の本質を考え直す時期です。それと、これまで森や雑木林など自然の恩恵は、当たり前に享受できるものだと思っていましたが、実は違った。特に都市の自然はそれなりに適正に管理していかないと、逆に問題を起こしてしまいかねない。単にそこにある自然を守り残すというだけではなく、社会そのものの構造を変えていかないといけない。その辺に我々の活動の主体があり、これから取り組むべきことだろうなと思います。
(長友)これからの保全について、次の世代は育っていますか?
(池谷)私の所はほとんど若い職員なのですが、これからは我々の時代だとさかんに言っています。やはりボランティアだけではなく、これからは職業としないといけません。
私も時代の最先端を走るのは我々だという意識でもって活動している。これからの新しい環境を創造していかなければならないので、意味があって、面白い職業なので、若い世代なりに大変熱意をもって取り組んでいます。
(長友)これから小網代の森の自然再生が本格化するとのことですが、どのような保全活動を行うのでしょうか。
(岸)小網代の森は、40年間人の手が入らなかったところです。雑木林も手が入っていないので林内は真っ暗です。林床に光が入らないので植物がなく、雨が降れば土砂が流れ出す。そのためにも、雑木林の適正管理が必要になってくる。
また、以前田んぼとして使われていた場所は放置されて、笹や潅木が繁茂しています。もともと田んぼというのは、耕作する人が川をコントロールして水を引いていますから、耕作しなくなると川が蛇行をはじめ、どんどん深堀りしていきます。40年前と比べて3メートルくらい掘られている流れもある。こうなるとかつて田んぼだった谷底に水が留まらず、乾燥化がすすみ、湿原生態系はだいなしになってしまいます。小川の流路を調整し、掘りこまれた川に堰を作って水位を上げ、あとから侵入したササや潅木も除去して、かつての湿原を回復してゆく。そんな作業を本格的に始めています。湿原も、小川の自然も、どんどん回復しています。
本格的な土木作業でもありますので、かなりの資金も必要です。全国規模の大型助成金などを次々にいただいて仕事をつづけてきましたが、2010年に全面保全が確定して、助成金は獲得しにくくなりました。県はハード面の木道整備はやりますが、自然再生にはお金は出ませんので、今後も市民組織(NPO小網代野外活動調整会議)が自前の工夫で資金調達してゆくほかない。財団の支援会員制度(注)による協力体制が必要不可欠になってゆきますね。
先進国型のトラスト運動へ
(岸)いま私たちは、財団に協力して、小網代の森を支援するトラスト会員を増やしています。たとえば100人そういう人が入ってくると、通常の会費(個人は2,000円)の上乗せ分(支援会費は3,000円)に相当する30万円が小網代の再生作業をすすめるNPO法人に助成されるしくみです。支援会員が300人、500人、1,000人くらいになってくれれば、私たちの保全作業も破綻せず、継続してゆけると期待しています。
かながわトラストみどり財団による地域の緑地をまもる実践活動へ支援が広がっていけば、まさしく先進国型の新しいトラストになっていくと思います。
市民活動と連携して、小網代の森の保全活動を推進したのは、かながわトラストみどり財団。支援会員制度を通して、その連携は管理作業そのものの促進に寄与する段階に入ってきています。市民と財団の二人三脚はさらに進んでゆくことでしょう。
県や国などの行政がうまく対応していただき、用地は守れた。これからは支援会員制度をフルに活用して、市民活動とトラストの連携のもと、支援会員という応援団の力をいただきながら、管理作業を軸とした保全をしていく。そこに、小網代保全の希望がありますね。
(注)
トラスト緑地保全支援事業は、これからのトラスト緑地の自然再生活動と適正管理を行うため、会員制度の任意で登録できる支援会費によって支援する事業です。モデル的に始め、小網代の森、久田、桜ケ丘の3緑地を対象にしています。