かながわのナショナル・トラスト25周年記念シンポジウム
トークセッション1 養老孟司氏を囲んで
養老 孟司 氏
大ベストセラー「バカの壁」筆者で東京大学名誉教授。
岸 由二 氏
慶應義塾大学教授。専門に進化生態学。小網代野外活動調整会議代表。
柳瀬 博一 氏(進行)
日経ビジネスオンラインプロデューサー
生態学の視点から
(養老)考え方の問題として、19世紀以降の植物学は、個々の木々の競争関係で自然を考えてきた部分があります。でも、競争だけではなく生き物を共生関係で考えていく側面が必要だと思います。
スギなどの人工林を見ていると、1本1本がまっすぐ独立に生えていているように見える。でも、自然にできた天然林って絶対にそうじゃない。隣りあった木同士が全部関係を持っている。結果としてある種の共生関係ができている。人間が勝手にへりの木を1本伐ると、当然のことですが次の木に影響する。
鎌倉の私の自宅の裏の山で、隣の地主が裏側に生えている端の木を1本伐った。その冬に大雪が降ったとき、隣にあった木が枝折れして、うちの電線を切った。修理が終わるまで1日寒かった。しみじみ思いました。
そもそも独立した人間1人1人がいて、平等でそれぞれの意見があって投票して決めるのが社会って思っていません? 思ってなくてもそう教えられている気がする。でも、実はそうじゃなくて、お互い同士皆つながりあって暮らしているのですよ。
僕らが若い頃、村の人間関係が嫌だからって都会に出てくる人が多くいた。それで人間関係を何に置き換えたかっていうと、お金であり、保険です。だから今、60代になった団塊の世代って、子供なんかに頼らないじいさんばあさんが多い。ただ、そのかわり福祉や年金とかの問題が出てきている。お金がつきるとおしまいの仕組みですね。
生き物の世界への見方も、人間の世界での処方箋も、今世紀中には“共生関係”が見直され、再評価されていくと思っています。
(岸)僕のそもそもの専門の1つは数学を使う生態学なのですが、そういう世界で生物の見方ってすごく変わってきていて、世の中は全部競争関係だって常識では思われてきたけど、むしろちょっと協力していこうっていうのが、どうやら生存に有利になることが多々ある。お互いの足を引っ張り合っていくことは、生物の世界では自滅ですよ。ここでは我を通さずにちょっと協力しておこうとか、ここはまぁ何をやるか分からないけど、ちょっとサービスしておこうというのが、むしろ様々な局面で進化に有利な特性なのです。
僕はドーキンスの『利己的な遺伝子』という本を翻訳した1人ですが、それを読んでいる人はほとんど利己主義が世界の正義だと勘違いをしてしまう。その理解は根本的に間違いですね。利己的な遺伝子はさまざまな場面で、協調的、互恵的、ときには利他的にふるまう個体を作り出す、というのが正解です。いろんな解説書もでて、ようやく妥当な理解がひろまりつつある。時間かかったけど。
(養老)じゃあ、どうするか。それは農業や林業や、地べたをいじる人が増えた方がいい。徴兵ならぬ“徴農”とか“徴林”っていう人もいます。農業や林業に一定期間みんなで従事する。そのほうが社会全体のためになるのではないかって。無理してではなく、ごくごく自然にそういった動きが起きるといいですね。
学校では子供たちが一日中部屋の中で椅子に座っています。それが当たり前ですよね。でも、そのやりかたが本当に正しいのか? 子供をとりまく前提条件が、大きく変わっているのではないでしょうか。
僕らが子供の頃は、外で遊んでいる時間がほとんどでした。だから逆に学校ってありがたかったです。ああいうところに押し込んで、少し静かにしてろって。その時代はよかったかもしれませんが、今の子供は家にいたって、これでしょ。(と両手でゲームをやる仕草)
(柳瀬 )テレビゲームにケータイですね。家に閉じこもって、ずっとやっている・・・。
(養老)ゲーム漬けのいまどきの子供を教室に入れてじっとさせておいたら、それこそ全然体を動かすチャンスがなくなる。だったら、学校教育のほうを変えていったらどうでしょう。学校が子供を山に連れて行って作業させ、勉強は家で家庭教師を雇うか、塾にやらせればいい、むしろそうした方がいいのではないかと思っています。
これはね、子供だけじゃない。大人もいっしょです。最近出席した会で国土交通省の課長さんがね、公開の会議で言っていましたけれど、「我々は年2週間の有給休暇をもらっている。それを使わないと次の年は有給休暇が3週間になる。ちなみに私の有給休暇は毎年3週間あります」と。つまり1日も休んでないのですと。1日も休まないで建物の中だけで、パソコン見て、人の顔見て、会議をしている。それじゃダメでしょう。外にでなければ、まともな仕事なんてできない。
(柳瀬 )大人の仕事ぶりは、ゲーム漬けの子供と何も変わらないですね。
(養老)人間ってすごく適応力が強いから、それでもやっていけますけど、白髪になって、僕らくらいの年になったときに、本当に困ると思いますね。外に出て何も出来ないってことがわかる。だから、ひと月ふた月は思い切って、休みではなくても地方でそういう活動に参加してもらうような仕組みにしたらいいと思う。やろうと思えば会社なり官庁単位で出来ることではないでしょうか。
(柳瀬 )最後に明日から出来る自然の具体的な付き合い方をご紹介いただけますか。
(養老)みなさん、それぞれ好きな自然はあるでしょう。そこにまず行ったらいかがですか。それから子供のとき遊んだところへ行ってみる。僕は地元鎌倉の海岸に時々散歩に行きます。子供のころ、さんざん遊んだ場所です。海岸に行って別に海を見るわけではなく、海藻をひっくり返して、何か虫がいないかのぞいてみたりする。楽しいですよ。好奇心があれば、それぞれの人にとって楽しいフィールドはいくらでもあるはずです。
(柳瀬 )まずは身近な自然にもう一度目を向けてみる。それから、昔好きだったところを思い出してみる。養老さん自身で思い出深いところはどこですか。
(養老)放課後によく道草していた近所の山ですね。今でも時々行きますよ。もうすっかり変わりました。お寺さんの裏山でして、ハンミョウがいた。それでハンミョウのいた庭に何をしたかっていうと、砂利を敷いた。もはやハンミョウは1匹もいません。本当に余計なことするなあ。きれいになったと思っているのでしょうが、こっちからすると余計なことですね。余計なことするものです、人間は(笑)
(岸)やっぱり都会に住んでしまうと空間感覚、地べた感覚が抽象的になってしまう。では、外国語を勉強するような感じで自然とのつきあい方を学んでみる。例えば自分の家に降った雨がどこの川に流れているか確かめる。これはすぐわかりますよ、だってついていけばいいのですから。川は必ず源流があり、河口があります。源流がにぎやかな森のこともあるし、団地ってこともある。歩けば毎回何か新発見があって、ゆっくりゆっくり徐々に英語が上手になるように、自然と仲良くなっていくのです。
60年以上鶴見川と付き合って、僕が一番好きな場所は綱島の早渕川と鶴見川の合流点です。今はもう昔と比べたら見る影もない世界ですが、いかに昔のように緑がいっぱいあって感動的な水辺にできるかって、人生ちょっとかけています。家族もちょっとあきらめていて、お父さんは10歳の頃、一番幸せだった綱島で、人と地球をつなげる仕事をしているようだと。みなさんもぜひやって頂きたいと思います。