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牧野富太郎と横浜植物会

牧野富太郎と横浜植物会

(機関誌ミドリ130号2023)

牧野富太郎と横浜植物会

県立生命の星・地球博物館 館長 田中 徳久

はじめに

2023年度前半のNHKの朝の連続テレビ小説「らんまん」で、主人公のモデルとされているのは日本の植物学の父とも呼ばれる牧野富太郎です。牧野は日本各地でその地方の植物愛好家を指導するとともに、自らも各地で植物標本を採集しました。また、指導した地方の愛好家から植物標本の同定(植物の名前を明らかにすること)を依頼されました。その生涯に収集した植物標本は40万点を超えると言われ、その多くは東京都立大学の牧野標本館に収蔵されています。

(図1)横浜植物会例会の牧野氏 大正5年1月23日. 神奈川県立第一中学校 現・県立希望ヶ丘高等学校(伊東初太郎の孫である三谷 創氏提供)

(図1)横浜植物会例会の牧野氏 大正5年1月23日. 神奈川県立第一中学校 現・県立希望ヶ丘高等学校(伊東初太郎の孫である三谷 創氏提供)

横浜植物会

神奈川県には日本最古の植物愛好会である横浜植物会があります。会は1909(明治42)年、牧野を講師に迎え、横浜市中区にあった丸善薬店に誕生しました。後に『神奈川県植物目録』(1933)を編纂した松野重太郎ら5名が発起人でした。初期の会員には久内清孝や清水藤太郎、武田久吉、舘脇操、岡田要之助、伊東初太郎ら、錚々たるメンバーが名を連ねていました。牧野は講師として会の指導を引き受け、室内例会で講演したほか(図1)、会員とともに神奈川県内はもとより、富士山や伊豆などで植物を採集しています。

(図2)現在の横浜植物会例会(朝比奈峠 令和4年9月28日撮影:渡辺重彦)

(図2)現在の横浜植物会例会(朝比奈峠 令和4年9月28日撮影:渡辺重彦)

横浜植物会はその後も活動を続け、2009(平成21)年に100周年を迎え、100周年記念誌『横浜植物会の歴史』を刊行しました。現在でも誕生当時と同様、月1回程度の例会(当時は採集会と講演会でしたが、現在は観察会と講演会です)を開催し、牧野の植物知識の普及の遺志を汲み、会員への植物知識の普及に努めています(図2)。

また、近年では神奈川県植物誌調査会の手になる『神奈川県植物誌1988・2001・2018』)のための調査に協力し(次号で詳しく紹介します)、2003(平成15)年には『横浜の植物』を刊行しました。これらは標本を元にした分布図を掲載した学術的な成果で、牧野の標本に対する情熱を引く継いだ活動だと言えます。

横浜植物会に所縁のある牧野標本

横浜植物会の関係者が発見あるいは採集した標本に基づき牧野が新種として記載した植物は数多く、会員に献名された植物には、松野重太郎に献名されたヨコハマダケArundinaria matsunoiやハコネグミElaeagnus matsunoana、久内清孝に献名されたオカイボタLigustrum hisauchiiやヒメスズタケLigustrum hisauchii、清水藤太郎に献名されたハコネナンブスズSasa shimidzuana、武田久吉に献名されたイワシャジンAdenophora takedaeなど、枚挙に暇がありません。もちろんこれら以外にも、神奈川県内で牧野が自ら採集して命名した植物には、タマノカンアオイ(図3)やコガネシダなど、多くが知られています。
※上に記した学名(生物につけられるラテン語で表記された国際的に通用する名)は、牧野が新種として記載した際のものです。

また、今では県内から失われた植物の標本も多く残されており、ハマウツボ(図4)やホソバイラクサ、サデクサなどがあります。これらの植物は、その後の自然環境の変化や各種開発などで今の神奈川県内ではその姿を見ることはできません。ですが、これらの残された標本は過去のそれぞれの時点、場所に、それぞれの植物が確かに存在していた証拠として重要なものです。このような標本を「自然の証拠」として、過去から未来に引継ぎ継承し続けることは、博物館の重要な使命の一つになります。

 

(図3)タマノカンアオイAsarum tamaense Makino(ウマノスズクサ科)牧野が1931年に新種として記載した.牧野が1894年に登戸(川崎市)で採集した標本が基準標本とされる(東京都 令和5年4月16日撮影:田中徳久)

(図3)タマノカンアオイAsarum tamaense Makino(ウマノスズクサ科)牧野が1931年に新種として記載した.牧野が1894年に登戸(川崎市)で採集した標本が基準標本とされる(東京都 令和5年4月16日撮影:田中徳久)

(図4)ハマウツボ Orobanche coerulescensStephan ex Willd(ハマウツボ科) 1927年に牧野が平塚で採集した標本.神奈川県内では絶滅したと考えられている(MAK176551;東京都立大学牧野標本館所蔵)

(図4)ハマウツボ Orobanche coerulescensStephan ex Willd(ハマウツボ科) 1927年に牧野が平塚で採集した標本.神奈川県内では絶滅したと考えられている(MAK176551;東京都立大学牧野標本館所蔵)

連綿と引き継がれる標本

筆者の勤務する神奈川県立生命の星・地球博物館は歴史が浅いため、牧野が採集した標本は所蔵していません。ですが、縁あり牧野と同時代の澤田武太郎のコレクションを所蔵しています。澤田は東京大学植物学教室に出入りし、横浜植物会で久内清孝と知り合い同会の講師であった牧野を師と仰ぐようになりました(図5)。澤田の標本は新聞紙の半紙大の台紙に貼付された立派なもので、本田正次は「牧野博士も舌を捲いてほめていたほど」と記しています(1978)。図6に示したのは澤田が採集したカツラの標本で箱根で採集された自生だと考えられる唯一の標本です。  また、牧野らの日本人の手により日本の植物研究が推進されるより古い時代の標本は西洋人の手により採集され、それぞれ本国の植物標本庫に今も残されています。例えばドラマ「らんまん」にも名前が登場したサヴェチェの標本はパリの自然史博物館(フランス)に、マキシモヴィッチの標本はサクンクトペテルブルグのコマロフ植物研究所(ロシア)に今も残されています。

先に記したように、採集された標本は過去から現在、そして未来へと連綿と引き継がれていきます。「自然の証拠」として未来に引き継がれた標本を収蔵する標本庫は、タイム・カプセルになぞらえます。

(次号は「神奈川県の植物相調査」)

(図5)右から澤田武太郎、久内清孝、牧野富太郎ほか、箱根山中にて(澤田秀三郎氏提供;生命の星・地球博物館蔵)

(図5)右から澤田武太郎、久内清孝、牧野富太郎ほか、箱根山中にて(澤田秀三郎氏提供;生命の星・地球博物館蔵)

 

(図6)カツラ Cercidiphyllum japonicum Siebold & Zucc. ex Hoffm. & Schult.(カツラ科)1936年に箱根町で澤田武太郎が採集した標本(KPM-NA0208469;神奈川県立生命の星・地球博物館所蔵)

(図6)カツラ Cercidiphyllum japonicum Siebold & Zucc. ex Hoffm. & Schult.(カツラ科)1936年に箱根町で澤田武太郎が採集した標本(KPM-NA0208469;神奈川県立生命の星・地球博物館所蔵)

謝辞
貴重なお写真を提供いただいた三谷創、澤田秀三郎の各氏と横浜植物会、所蔵標本の撮影を許可いただいき、使用させていただいた東京都立大学牧野標本館にお礼申し上げます。

参考
本田正次, 1978. 随想:私の自然(2)箱根八里. 國立公園 (338): 12–13.

プロフィール

田中徳久

田中 徳久(たなかのりひさ)
県立生命の星・地球博物館 館長。専門は植物生態学。 写真はロシアのコマロフ植物研究所でのマキシモヴィッチの標本調査の一コマ。

 

連載

牧野富太郎と横浜植物会
神奈川県の植物相調査

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