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旧大佛次郎茶亭の保存の経緯とこれから

写真/8月下旬、屋根の茅が葺き上がり、棟を固定する

写真/8月下旬、屋根の茅が葺き上がり、棟を固定する

(機関誌ミドリ128号2023)

旧大佛次郎茶亭の保存の経緯とこれから

㈱原窓 岡崎 麗

鎌倉・雪ノ下。鎌倉駅から鶴岡八幡宮への賑わう若宮大路から少し住宅街に入ると静かな小路が続き、一際長く伸びる黒い塀に囲われた大きな屋敷があります。広い敷地には森のように悠々と育った樹木や花々、そして作家・大佛次郎が愛した茅葺き屋根の茶亭が佇んでいます。
大佛次郎は、大正から昭和にかけて活躍された鎌倉文士のひとり。横浜に生まれ育ち、結婚を機に鎌倉・長谷に移り住みました。執筆活動の傍ら、鎌倉女学院の教師や外務省の嘱託を勤めるなどして過ごした後、時代小説「鞍馬天狗」が大きく評価されて専業作家となりました。「赤穂浪士」が評判を呼んだ32歳の時に雪ノ下に居を移したそうです。

旧大佛次郎茶亭と自邸

鎌倉らしい街並みを作ってきた家々も平成から令和を越えて少なくなってきました。今回の建物も例にたがわず、親族だけで維持することが限界となり売却に踏み切ったのが2019年のことでした。ここで多くの方が混同される件について説明させていただきたいと思います。

大佛先生が鎌倉・雪ノ下へ居を移し、住まいはじめた家は1929年に新築した洋館付き和風平屋でした。ここで、妻で元女優の登里夫人と両親、そして愛猫家で知られる通り十数匹の猫に囲まれながら暮らしました。横浜のホテルニューグランドと同じく執筆の場とされていたのもこちらの建物です。(以下、「自邸」と称します)。自邸は本人が亡くなった後もそのままの姿で残っていましたが、残念なことに2021年春に取り壊されました。

一方で、多くの方が大佛邸と聞いてイメージするのはこちらの「旧大佛次郎茶亭」(以下、「茶亭」と称します)ではないでしょうか。「自邸」とは路地を挟んで向かい合わせに位置する茶室建築です。鎌倉市景観重要建築物・風致保存会保存建造物に指定され、春と秋の特別公開が恒例になっているほか、2019年夏までは大佛茶廊という週末カフェとして中で過ごすことができました。大佛邸と呼ばれ親しまれる茶亭ですが、実は大佛先生が建築したものではありません。建てられたのは関東大震災以前と推察されており、老舗料亭の関係者が出入りしていた建物を大佛先生が50代になってから別邸として取得したそうです。政界や映画界など広く交流があったので、役者や文化人など国内外からさまざまな客を招きいれていたようです。茶亭と自邸はもてなしと日常、ハレとケのように使い分けられていました。

売却から保存への道のり

2019年に売却を決断した茶亭ですが、解体を危ぶむ市民の注目とは裏腹に、買い手がなかなか見つかりませんでした。理由として築100年にもなる建物と庭をできれば壊さず、そのまま保存してほしいという親族の願いがあったこと。そして当該地が借地であり、借地条件によって建物の使い道に制限がかかっていたこと、地価が高い地域につき敷地300坪ともなると売却価格や地代の設定がたいへん高くなること、おまけにコロナ禍が忍び寄る、世の中が不安でいっぱいの時期でした。そのような厳しい条件で買い手を募るのは無謀なようにも思えました。

売却を始めて1年が経った頃、動きはじめたのが現在の所有者です。鎌倉にとって文化的に大切な場所がなくなってしまうことへの懸念と昨今の若者の文学離れが気掛かりで静観できなかった、というのが始まりだったと伺っています。そこからいくつもの難題を超えて取得の決断に至りました。同時に、一般社団法人大佛次郎文学保存会を立ち上げ、その法人が現在の所有者となりました。  承継されたのが2021年2月のこと。それからも黒塀に囲われた門は閉じたままなのでご近所の方や、茶亭を知る方は「売りに出ていたらしいが大佛邸はどうなるんだろう」「カフェは閉まったままなのか」など様々な声が聞かれました。

また似た時期に向かいの自邸が売り出され、やむなく解体されることとなったため、2つの建物を混同して「解体されてしまったらしい」という間違った情報も流れたり、良くも悪くも注目度の高さを実感しました。

そして、いざ承継がされたとわかると「何になるの?」という質問がほぼ全ての方から聞かれました。

質問に対しての答えは、未定です。空間構成は大きく変えず、まずは住宅として改修する工事をおこなっています。

茶亭は大佛先生が亡くなってからの約50年間、親族の個人住宅であったため、空調や水まわりなど生活の変化に合わせてリフォームが重ねられていました。全体的な劣化は見るに明らかで、建物は傾き、茅葺き屋根は痩せてみずぼらしく、ほとんどの建具は開閉しづらい状況でした。ただ、そんな中にも経年によって生まれた美しさがありました。季節の装飾がされていたり、小さいお茶会で日々使われていたりと、凛とした空気感を残している様を見て、この建物が持つ空気をできるだけ残したい、強いて言えば大佛先生がこの建物を使いつづけていたら、今頃どうだったろうかと想像しながらの修繕計画が始まりました。

数寄屋造りの改修

改修作業は2021年2月に着工しました。地元の気鋭の大工(株)藤本工務店たちと。建具や照明器具、畳、松の床板、神代杉の筋模様が特徴的な天井板、そして三つの炉など丁寧に取り外して保管し、まずは足元の補強です。茶亭は石場建てという伝統工法の建物です。本来は風通しが良いはずの床下ですが、長年の間に建物の下に雨水と共に土が流れ込んでいました。基礎となる石が土に埋まり、土台が直接土に触れることで腐食し建物自体が沈んでいる状態でした。

さっそく土を運び出すため、土嚢袋に入れて外へ出すこと約4t。礎石がはっきり現れる状態に戻し、同時に雨水がスムーズに排水できるよう工事を行いました。

それから歪みを治すため、時間をかけて建物全体を立て起こしました。時には庭の桜の太い幹を支えに、ワイヤーを掛け、大工さん10名で建物をひっぱりました。垂直になったことを確認したところから一本ずつ土台と柱の修復が始まりました。

柱は腐った下端を切断し、宙吊りの状態で継手を加工。そこにあらかじめ継手を加工した新しい柱をはめ込む「根継ぎ」をしていきます。これが実に緻密な作業で、職人一人につき一日一本のペース。しかも茶亭は数寄屋造りの繊細な面皮柱のため、その細さにも神経を使います。ジャッキアップで部分的に建物を浮かせて根継ぎをし、土台と柱を入れ替える作業が2ヶ月くらい続いたでしょうか。

改修前の茶亭

改修前の茶亭

柱や土台は経年による老朽化だけでなく地面に触れることで腐食していた

柱や土台は経年による老朽化だけでなく地面に触れることで腐食していた

刷新した部分と旧い材が入り混じる

刷新した部分と旧い材が入り混じる

茅の葺き替え

建物の足腰が強くなった段階で、外周に大きな足場が組まれ、屋根の葺き替えが始まりました。神戸に拠点がある㈱くさかんむりにお世話になりました。代表の相良さんの茅葺きに対する思いに以前から共感する部分があったこと、また彼が大佛作品の愛好家でもあったことがきっかけでした。茅葺き屋根は日本の新築では建築基準法上の理由から新たに採用できないことが多いですが、彼らの技術は今や海外でも認められ日本の伝統建築から、新境地を探るモダン建築まで幅広く手掛けられています。

ちょうど初夏から真夏にかけての2ヶ月弱。鎌倉での共同生活で朝8時から17時まで。和気あいあいとしているのに規律正しく働く様子は見ていて本当に気持ちの良いものでした。  古い茅を庭に下ろし、再び使うものと破棄するものに分類。破棄するものは、地元農家に声かけをして堆肥として引き取っていただきました。茅を下ろして見えたトラス構造の屋根組は予想よりもしっかりしていたため、大きな修繕なくそのまま利用することにしました。茅を下ろした後は、ひたすら新たな茅を並べて葺く作業です。屋根の上は夏の日差しを遮るものがありません。灼熱の中こまめに休憩をとりながら、着々と作業が進みました。

ところで昔は茅葺きと言えば集落の人々が総出で参加するものでした。道具は手作りで、材料は稲ワラやカヤ場のススキなどイネ科の植物、防水のための杉皮などその土地で手に入るものばかり。集落の生活の一部だったのです。共同労働は助け合いの意味から【結】と呼ばれるそうです。

葺き替えの途中に、みんなで屋根に登って作業をする日がありました。小屋裏に潜るチームと屋根の足場に並ぶチームに分かれ、屋根を両面から縫い合わせるような作業です。この日は大工さんたちも参加して大勢で作業をした楽しい思い出です。

茶亭と庭の配置図

茶亭と庭の配置図

建物の歪みを直した際に崩れ落ちた土壁は、再び竹小舞を編んで修復

建物の歪みを直した際に崩れ落ちた土壁は、再び竹小舞を編んで修復

芝棟。植えられたアヤメ科のイチハツ

芝棟。植えられたアヤメ科のイチハツ

屋根の先に芝が植えられ、春には花が咲く

屋根の先に芝が植えられ、春には花が咲く

左の桟木には大正8年8月造と記載。右の桟には棟梁の名前

左の桟木には大正8年8月造と記載。右の桟には棟梁の名前

大佛先生と芝棟に咲くイチハツ

程なく葺き替えが終わり、朝夕の暑さが和らいできた頃、最後の刈り込みが行われ、仕上げに芝棟の工程がありました。屋根のてっぺん、棟を作ります。棟は地方によって仕舞い方もいろいろ。茅を葺いて竹で押さえたり、杉皮で覆ったり、瓦を乗せたりしますが、今回は芝棟という、文字の通り植物の芝を敷くやり方を選びました。大佛次郎の随筆「屋根の花」のなかに横須賀線に乗りながら芝棟を愛でる場面があることから着想を得たものです。

棟を平らに整えて麻布を敷き、土を敷き詰めた中にイチハツの球根を植え、芝生を貼って縄で固定して完了です。植えたイチハツはアヤメ科の仲間でも早咲きの種類です。毎日少しずつ水をやり、芝と球根が根付き、春には屋根の上に花が咲く予定です。

茅葺きの仕事が終わった翌日には、職人たちは休むことなく国内外のそれぞれの次の現場へ旅立っていきました。

茶亭の記録

ところで茶亭は、大佛先生が取得して以降は写真など記録が残っていますが、それ以前の情報があまりありません。改修を進めていた晩秋のある日、茶室の床の間をめくったところ、字が記された吸い付き桟を発見しました。そこには新築時に携わったと見られる棟梁の名前と住所、納めた日付が書かれていました。今まで推測だった建築時期がおおよそ当たっていたことが証明できる出来事でした。

他にも茶室には先人の丁寧な仕事や、簡素ながらも遊びを効かせた素材の組み合わせなど個性的な地場の職人の痕跡が残ります。きっと大佛先生もそのようなありきたりでないところも気に入られていたのではないかなと勝手に想像しております。

改修を終えて

茶亭は2023年4月の改修完了を予定しています。別人のように生まれ変わる古民家再生ではなく極力変わらないような改修をしてきました。広縁の床板や建具の一部は、解体数日前の自邸から引き取ったものを使わせて頂きました。いずれも今となっては手に入らない素材です。

大佛先生が鎌倉の自然と街並みを開発から守ろうとしたときに仰られた「これは過去に対する郷愁や未練によるものではない、将来の日本人の美意識と品位のためである」という言葉は、いまこそ響くメッセージではないでしょうか。大佛先生が愛されたこの場所は鎌倉の歴史的財産だと思っています。この茶亭が自身で維持費を生み出せる仕組みをつくり、若い世代や地域の人々が身近に文化を体験できる拠点を目指したいと思います。

1966年頃 a茶亭の庭で大佛夫妻と愛犬(提供:大佛次郎記念館 )

1966年頃 茶亭の庭で大佛夫妻と愛犬(提供:大佛次郎記念館 )

プロフィール

岡崎 麗(おかざきれい)
株式会社原窓代表。古く美しい建物を継ぐための不動産仲介を行う。 本件では所有者である一般社団法人大佛次郎文学保存会より建物管理と再生コンサルティングを受託した。

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